2012年4月28日

4月28日

今日、14年間連れ添った愛犬が亡くなりました。

アルコールも入ってるのでまともな記事になる予感がしないですけど今日でないと書けないものがある気がするのです。


もう年齢からして覚悟はしていたことでした。
一昨日あたりから急に元気がなくなり、昨日はほぼ寝たきりの状態でした。

昨日の夜、両親が彼と一緒に一階で寝て、僕は二階の自分の部屋で寝ました。

翌朝4月28日午前8時過ぎ。
委員会の倉庫整理に出かける際、見送りのつもりか、寝たきりでほとんど動ける状態で無かったにもかかわらず玄関まで来てくれました。
これが彼が最後にしてくれた「いってらっしゃい」。
いつも通りの対応で「行ってくるね」と頭をなでる。

ここから父親に聞いた話ですが、
昼過ぎに外に出たがったらしく、外に連れ出したそうです。
少し歩いた後道で倒れ、このときすでに呼吸はしてなかったそうです。
すぐさま部屋へ連れて帰り、何度も名前を呼び掛けると二、三回口を開いて答えようとしたそうです。
息ができていなかったそうなので、その時の苦しさを考えると胸が締め付けられます。
その後息絶えたそうです。

15時9分、父親から彼が亡くなった旨のメールを受信。
17時頃、倉庫整理が終了したので一目さに帰宅。

すでにかなりの時間が経っていたので暖かさも残っておらず、体も固くなっていました。
とても安らかな、寝顔のような、ひょっとすると呼び掛けると起きてくるような顔をしていました。

その後家族で思い出をいろいろ語り合い、両親は今まで毎日行っていた散歩コースを歩いてきたそうです。
僕は部屋でどうしようもない虚脱感で動けませんでした。
部屋で携帯に入っていた写真や動画を見て、ああもう動くことがないんだなと、その瞬間ようやく理解したようで、涙が出てきました。

散歩コースを歩いてきた両親は、帰りにいつも一緒に散歩に行く仲良しさんの家の犬に会いに行ったそうです。
はじめはキャンキャン鳴いていたようで、一通り撫でたあとに「うちの犬ね、死んでしまったんだよ」というと、その後一切鳴かず微動だにしなかったそうです。

大切な人が突然亡くなると、「ああなんであの時こうしなかったんだ」というのが無限に出てきます。
雑に扱った日もありました。
激しく叱った日もありました。
ああなんでもっと優しくできなかったんだろう。
一昨日はなんで一緒にいてあげられなかったんだろう。
昨日の夜はなんで一緒に寝てあげられなかったんだろう。
今日の朝はなんでもっと撫でてあげられなかったんだろう。
文字に起こすと脳がきちんと理解してさっきから涙が止まりません。
叶わないことだと分かっていても、たとえその時に戻ったとしてもできなかったことだとしても、「もしあのときこうしていれば」という思考が止まりません。

今まで彼がいて当然だった毎日から、突然彼が欠けて、果たしてこれからどうなるのか全く分かりません。
生きていると勘違いして、ふとした時に名前を呼んで、死を再認識して静かに泣く日もあるかもしれません。
誰もいない庭に寂しさを覚える日も増えるでしょう。
リビングに歩く音が響かないことに違和感を感じる日もあるかもしれません。


彼にはとても感謝しなければなりません。
両親が激しく喧嘩しているとき、僕が受験戦争で気が狂いそうだったとき、
辛いときも、悲しいときも、嬉しいときも、楽しいときも、
人生の8割ほどをともに過ごしてきて、いろんな感情を共有できて、癒されたりしたこと。

明日、葬式に行ってきます。
お墓も、どこに入れるか決めなければなりません。
彼は生前、他の犬とあまり仲が良くなかったので、共同墓地だと吠えまくるかもしれません。
でもきっと個人墓地?にすると寂しくて鳴くことでしょう。

明日は僕は泣かずに笑顔で送れたらいいなと思います。

今までありがとう。行ってらっしゃい。お参りまで寂しいかもしれないけど、良い子で待っててね。

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